大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 平成7年(ネ)1059号 判決

控訴人

市川正三

市川千鶴

右両名訴訟代理人弁護士

福井正明

石坂俊雄

村田正人

伊藤誠基

被控訴人

吉川産婦人科こと

吉川一彌

右訴訟代理人弁護士

河内尚明

矢野和雄

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人市川正三に対し、二二五六万九四五七円、控訴人市川千鶴に対し、二二七三万四四五七円及び右各金員に対する平成二年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その四を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人市川正三(控訴人正三)に対し、三五六二万一一四七円、控訴人市川千鶴(控訴人千鶴)に対し、三五七五万一一四七円及び右各金員に対する平成二年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  当事者の主張

当事者の主張は、次のとおり訂正及び付加するほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」(「争いのない事実及び証拠によって明らかに認められる事実」も含む)の記載を引用する。

一  同七頁四行目の「峻也」の前に「退院時(平成元年四月三日)、被控訴人と峻也の一か月健診を予約し、一か月健診までの峻也の健康管理を内容とする診療契約を締結し、」を、同行目の「同人」の前に「一か月健診までの間、被控訴人の指導を忠実に守り、」を各付加する。

二  同七頁七行目の「受診した」の次に「が、その際、被控訴人病院の看護婦長から、「退院時に渡すのを忘れていた」と言われて、「産褥中の心得」(甲九)を渡されたが、看護婦長はその表紙に「4月27日頃来院」と記し、また、右冊子には著作者の名として、「医学博士吉川一弥」と「医学博士吉川裕之(東京大学産婦人科教室)」の名が連名で記載され、さらに、右冊子の一頁には、育児について、「一か月位までは母乳を第一とします」と母乳哺育が指導されていた」を、同行目の「甲第一」の次に「、第九」を各付加する。

三  同七頁一〇行目の「ビタミンK」から一一行目までを「VK剤を投与することも、HPTも行わなかったし、母乳哺育児に発症し易い乳児ビタミンK欠乏症の危険性及びその予防の必要性についても、控訴人千鶴に説明しなかった(争いがない。)。また平成元年三月当時、被控訴人病院所在地である三重県北部でHPTを受けることのできる病院としては、少なくとも、四日市市内では、市立四日市病院、県立塩浜病院(現三重県立総合医療センター)、隣接都市の桑名市では、山本総合病院、桑名市民病院、鈴鹿市では、鈴鹿中央総合病院があり(甲第五六ないし第六〇号証の各一及び二)、被控訴人は控訴人千鶴に対し、HPTなどの血液凝固能検査を受けることができる旨、その結果によっては、VK剤の投与を受けるべき旨の説明や検査・投薬のための転医指示をしなかった(争いがない。)。」と訂正する。

四  同九頁の一行目と二行目の間に次を付加する。

「9 被控訴人は、平成元年三月当時及びその後平成四年九月に至っても、HPTをしたこともないし、ビタミンK2シロップを購入したこともない(原審における被控訴人本人尋問の結果によって認められる。)。」

五  同一七頁三行目の「するが、」の次に「日母の理事会見解は、医師の規範的注意義務を決定するものでなく、医師の注意義務の基準である医療水準は、医療債務の内容によって決まるものであり、」を付加する。

六  同一八頁一〇行目と一一行目の間に次のとおり付加する。

「(五) 仮に被控訴人は、峻也に対しVK剤の一律投与をしないならば、控訴人らに対しその旨を告げて、VK剤の投与又はHPTのできる他の医療機関で投与又は検査を受けるべきことを説明して、転医を指示する注意義務を有する。

七  同一八頁一一行目の「(五)」を「(六)」に訂正し、同一九頁二行目の「しなかった」から四行目までを次のとおり訂正する。

「せず、又は控訴人らに対し、転医の指示をしなかったため、峻也は、本症に罹患するに至った。

よって、被控訴人は、峻也を相続した控訴人らに対し、峻也の本症に基づく損害を賠償する責任がある。」

八  同二七頁の六行目と七行目の間に次を付加する。

「 また、控訴人らは、被控訴人には、控訴人らに対し、転医を指示する旨の義務を有すると主張するが、転医を指示する旨の義務は、VK剤の投与義務を前提視するものであり、VK剤の投与が裁量である限り、被控訴人には、転医を指示する義務を有しない。」

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

第一  争点1(VK剤の投与義務等)について

一  本件における被控訴人の注意義務についての原判決の「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」の一及び二(原判決三一頁三行目から六一頁九行目まで)の判断は、次のとおり訂正及び付加するほか、当裁判所と同様の判断であるのでこの記載を引用する。

(一)  原判決三二頁八行目の「いうべきである。」を「いうことができるが、その場合、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである(最高裁判所平成七年六月九日判決民集四九巻六号一四九九頁)。」と訂正する。

(二)  同四四頁八行目の「全新生児」の次に「とくに出生当日に」を付加する。

(三)  同四五頁六行目と七行目の間に次を付加する。

「他方、同日付け日母医報には、前記厚生省心身障害研究班(以下「研究班」という。)の研究者塙教授の「シロップを水で一〇倍に薄め、あるいは哺乳力が確立して二〇ミリリットルくらい飲むようになってからなら問題はない。もちろん出生一週間後、一か月後の投与は安全である。」との見解が、「哺乳確立後の投与は安全」という見出しで掲載されている(乙8)。」

(四)  同四八頁四行目の「考えられ」の次に「、現在一部の地域で実施されてい」を付加する。

(五)  同四八頁六行目の「示した」を「示すとともに、出生当日のVK投与は、実施面でいくつかの問題があり、関係者の間で意見の一致をみていない、としたうえで、とりあえず、異論の少ない生後一週及び一か月(四週)にVK二mgの経口投与をすすめるものであるとしていた」と訂正する。

二  社団法人日本母性保護医協会(日母)の昭和六一年一月一日付日母医報における見解について

1  被控訴人は、VK2シロップ剤の新生児への予防投与については「現段階では厚生省心身障害研究班と両学会の見解を参考にして、主治医の裁量により行うものとする。」との右日母見解(引用する原判決第三・二・3・(一一)、甲29、乙10)は、VK2シロップの投与を含むVK剤投与が主治医の裁量であるとするものであると主張するのに対し、控訴人らは、右見解は、厚生省心身障害研究班(以下「研究班」という。)、日本小児科学会及び日本産婦人科学会の各見解が一致していない出生直後のVK剤シロップの投与の是非及び方法の選択について裁量があるとの趣旨である、と主張するところ、不良の子孫の出生を防止し母性の健康を保護することを目的とする任意の団体である日母(甲61)の見解が開業医に対して拘束力を有するものとは解されないけれども、一定の影響力を有することが明らかなので、右の点について検討する。

2  日母は、前記認定(引用する原判決第三・二・3・(六)、(八)、(一〇)及び(一一))のとおり、VK2シロップ発表前の昭和五八年九月一日付日母医報において、産科医が新生児全例に対してVK剤の投与を行う段階ではない旨の見解を示し、次いで昭和五九年一一月三〇日にVK2シロップが製造認可された直後の昭和六〇年一月一日付日母医報において、現時点では、右シロップを新生児にとくに出生当日に一斉投与することにはまだ意見が分かれているとし、医療関係の各方面と連絡を取り、なるべく早い時期に投与法の統一見解を得たいとの考えを示しながらも、同時に、水で一〇倍に薄め、又は哺乳力が確立して二〇ミリリットルくらい飲むようになってからなら問題はなく、出生一週間後、一か月後の投与は安全である旨の研究班の塙教授の見解も並列的に掲載し、昭和六〇年一〇月一日付日母医報において、研究班が同年八月二二日に示したVK剤の投与方法の暫定普及案を掲載し、昭和六一年一月一日付日母医報において、研究班の右暫定普及案に対する日本小児科学会及び日本産婦人科学会の見解と、日母の前記見解を発表したが、右昭和六一年一月一日段階においては、研究班、日本小児科学会及び日本産婦人科学会の新生児に対するVK2シロップ剤の予防投与についての各見解は、少なくとも生後七日及び生後一か月に滅菌水又は蒸留水で一〇倍に希釈して投与するとする点では、その内容は一致していて異論がないことが認められる。

3(一)  他方、乙第一七号証の一及び二(滝沢憲作成の意見書)、原審証人滝沢憲(東京女子医科大学産婦人科助教授、日母幹事)の供述中には、日母の前記見解は、(1)当時、VK2シロップ剤が高浸透圧製剤であるために消化管壁に障害を与える可能性が指摘されていたこと、(2)かってVK3剤やVK4剤の投与が溶血性貧血や核黄疸の発生を誘発したことがあったこと、(3)一九六〇年から一九七〇年代に行われた切迫流産妊婦に対する黄体ホルモン療法や一九六〇年代から最近まで行われていたトキソプラズマ抗体検査など、産婦人科医の間で実際に広く受容され、一般に実施されていた検査や治療法が、後にその有用性が否定され、中止される事態が存したこと、(4)全新生児に対して予防投与することは、元々何らリスクのない正常新生児に対して新たなリスクを負荷するという側面があることなどの理由で、発売から約一年しか経過していないVK2シロップ剤を全新生児に対して予防投与することについて、副作用等の有用性の検証が必ずしも十分でないという認識に基づき、(5)母体の妊娠中から授乳期までの栄養状態や母乳量、児の全身状態等の種々の情報を基礎に、VK剤を投与するかしないかということも含めて、研究班等の見解を参考に主治医の裁量によるとしたものであるとする部分がある。

(二)  しかし、右(1)の高浸透圧製剤であることについては、乙第九号証、甲第一〇四号証、当審証人塙嘉之の証言によれば、それは「出生当日の授与について懸念がもたれて今日(注・昭和六〇年八月二二日当時)まで関係者間で意見が分かれている。」もので、出生当日の投与に関する懸念であるうえ、蒸留水で一〇倍に薄めれば問題ない(乙8)としているのであり、(2)のVK3剤などの副作用誘発の例については、乙第八号証、甲第一〇号証、前記証人塙嘉之の証言によれば、VK2は、人体に存在する型で、非自然型のVK3などと異なるものであるうえ、当時水で一〇倍に薄めれば問題なく、出生一週間後の投与は安全であるとされ、副作用も報告されなかったのであり、(3)については、産婦人科医の間に広く受容され、一般に実施されていた治療法が後に否定されることがありうるからといって、右治療行為を行わない理由には到底なりえないというべきであり、(4)については、甲第二二号証によれば、新生児特に母乳哺育児はVK不足を来す点で元々リスクを負っているとも言うことができるうえ、後記4のように、当時副作用が報告されていなかったVK2シロップの投与は新たなリスクを負荷することにはなりえないというべきであるし、(5)については具体性に乏しいというほかないものであり、しかも右証拠(甲第一〇四号証を除く)はいずれも平成元年三月当時まで公刊され、産婦人科医である被控訴人としては当然のこととして目を通すべき文献に掲載されているものであり、前記(一)の証拠の記載及び供述部分は採用できない。

4  VK2シロップ剤の副作用について

(一) 前記のとおり、昭和五九年一一月三〇日VK2シロップ剤が治療薬として認可されて市販されたが、甲第一一、第一二、第二〇、第二八ないし第三二号証及び第五二号証によれば、研究者らは、昭和四九年一月から昭和五一年一月までの間に小阪産病院にて出生した新生児一二二例を対象に、VK剤投与による新生児期の凝固障害症の治療効果について(甲11)、また、昭和五三年八月一五日から昭和五四年八月一四日までの一年間に国立大阪病院母子医療部において出生した新生児九〇五例を対象に、VK剤の投与による新生児メレナの予防効果について(甲12)、さらに、昭和五六年ころ、一四八例を対象に、VK剤投与による新生児低プロトロンビン血症の治療効果について(甲20)、それぞれ検討したが、その際いずれも副作用と考えられるものが認められなかった旨報告されたこと、昭和六〇年に静岡県内の一五一病院のうち小児科入院病床を有する四一病院を対象に行ったHPTの実施状況等についてのアンケート調査の結果によると、二四病院から、VK2シロップ剤投与につき副作用が認められない旨の回答を得たこと(甲29―231頁)、東京都立病・産院六施設において、昭和五九年九月一日から昭和六三年九月三〇日までの間に出生した新生児のうち二万三七四〇例について、VK2シロップ剤一ミリリットルを出生後間もなく、退院時(生後五ないし六日)、生後一か月の各時期にそれぞれ投与した(一〇倍に希釈して投与した例と希釈せずに投与した例がある。)ところ、いずれもVK2シロップ剤投与による副作用は認められなかったこと(甲28―194頁、甲31―30頁、甲32―71頁)、研究班の分担研究者(班長)である塙教授が、周産期医学平成四年四月号において、浸透圧の高い現在のVK2シロップ剤を経口的に与える場合の危険性について、いままでのところ自分の知る限り副作用は起きていない旨述べていること(甲52)がそれぞれ認められる(当審証人塙嘉之)。

(二)(1) 他方、甲第一九号証、乙第一二号証の記載及び原審証人滝沢憲の供述中には、①VK剤の注射投与によって稀にショック症状を起こすことが報告されていること、②VK剤に含まれる溶解補助剤HCO―六〇のヒスタミン遊離作用が右ショック症状の原因であり、経口投与の場合には、ショック症状の発生頻度は極めて低いと考えられるが、VK剤を母乳栄養児全例に無差別投与する場合には、これを考慮しないわけにはいかないこと(甲19―60頁)、③VK2注射剤によってショック症状を発現した旨の報告があったので、昭和六三年二月、エーザイ株式会社が、その安全性確保のため、適用対象を確認するなどの注意事項を記した書面を配布したこと(乙12)、④治療薬が一定の症候に対するものである一方、予防薬が元々リスクのない者に対して新たなリスクを負荷するという側面がある点や、治験に必要な症例数が予防薬として認可を得ることよりも少ない点で、治療薬として認可を得ることは、予防薬として認可を得ることに比較して容易であり、VK2シロップ剤が今後予防薬として認可を得るためには、さらに相当数の症例が治験に必要であるとしている部分がある。

(2) しかし、右①及び③のVK剤投与によるショック症状は、右記述のとおり注射投与の場合に関するもので、VK2シロップ投与に関するものではないし(乙第一二号証は、その記述に照らし、VK2シロップに関するものではなく、注射剤投与における注意書であることが明らかである)、右②については、甲第四四号証(小児科M○○K・一八四頁・昭和六一年刊)、第一三四号証に照らし、甲第一九号証の右に関する部分は採用できない。そして、右④については。前記3(二)(リスクの負荷に関する判断部分)及び4(一)(副作用の事例に関する判断部分)を引用する。

そうすると、前記(一)については、いずれもVK2シロップの副作用に関する前記1の認定を覆すに足りない。

5  以上のとおり新生児に対するVK2剤の予防投与については、少なくとも、生後一週間、一か月後に滅菌水又は蒸留水で一〇倍に希釈して投与するとの点では研究班、日本小児科学会、日本産婦人科学会の見解が一致して異論がなかったこと、その他前記認定の各事実を併せ考えれば、日母の昭和六一年一月一日付日母医報の見解における「主治医の裁量により行うものとする。」とは、予防的投与法について主治医の全面的な自由な裁量であるとしたものとは認められず、少なくとも研究班及び学会において見解が分かれている出生直後のVK剤投与の是非についての裁量ないし、希釈したVK2剤の生後一週間、一か月後の予防投与を行うにつき、HPTを経るか否かについての裁量と解するほかない。

のみならず、仮に右日母の見解が被控訴人主張のとおりであるとしても、前記研究班、学会の見解の日母医報などの記述内容、副作用の報告がなかった文献上の記述及びそれらの文献はいずれも産婦人科医である被控訴人としては当然に目を通すべき文献で、平成元年三月当時までに刊行されていることを考慮すれば、被控訴人は新生児である峻也につき、少なくとも、裁量により生後一週間及び一か月後の予防投与を行うべきであったのであり、もし自らそれを行わないとすれば、それに関する説明をして他の医療機関においてそれを受ける機会を与えるべき注意義務があったというべきである。

三  HPTについて

甲第一六号証、甲第四三号証及び甲第五四号証の二、当審証人塙嘉之の証言によれば、HPTは、本症のスクリーニングとして有用であること、凝血能力のわずかな変動が読み取り易く、測定誤差が少ない、児への侵襲が少ない、測定手技が比較的容易である、採血後直ちにその場で結果が得られるなどの利点があることが認められる。

しかしながら、他方、甲第四三号証(171頁)、乙第九号証及び原審証人滝沢憲の供述によれば、HPTは、その手技が容易であっても、検査結果の正誤管理を含めた意味においては、必ずしも簡単に実施できる検査であるとはいい難く、どの施設でもいつでもできるような検査ではないこと、実際上も、ある程度以上の大規模な医療機関以外では、HPTが実施されていないことがうかがわれないでもない。

しかしながら、右のように平成元年三月当時、すでにHPTの有用性、簡便性が中規模の開業医レベルにおいても明らかになっていたのであるから、被控訴人は、前記VK2シロップの予防投与を行わないときは、HPTを行うか、ないしは他の医療機関においてそれを受けさせるための説明義務があったというべきである。

四 以上認定の各事実を総合すれば、前記のように本症は突然出血し、その予後が不良であること、新生児に対するVK2シロップの出生後一週間及び一か月の希釈投与の有用性に関しては研究班、学界で異論がなかったこと、右投与が産婦人科医療機関においてかなりの程度実施されていたところ、副作用が報告されなかったこと、右は平成元年三月当時までに産婦人科医である被控訴人において通常目を通すべき文献に掲載されていたことなどに照らすと、少なくとも、平成元年三月当時、新生児に対するVK2シロップの出生後一週間及び一か月の希釈投与は、被控訴人と類似の程度の産婦人科医療機関に相当程度普及しており、被控訴人においても右知見を有することを期待することは、相当であったというべきである。したがって、被控訴人が、新生児である峻也に対し、生後一週間及び一か月内にVK2シロップの希釈投与をしなかったこと、HPTをしなかったこと又は、右を行わないときには、その有用性ないし転医についての説明をしなかったことは、少なくとも医師である被控訴人に医師としての注意義務違背があり、右過失と峻也の死亡の間には因果関係があるものというほかない(前記甲第二六号証、当審証人塙嘉之の証言によれば、VK剤を投与しても本症の発症した事例は存在するが、峻也にVK剤を投与したとしても、なお本症が発症したものであることを認めるに足りる証拠はない)。

したがって、被控訴人は、峻也及びその両親である控訴人らに対し、不法行為上の責任をおい、控訴人らの被った損害を賠償すべき義務がある。

第二  争点2(損害額)について

一  峻也についての損害

1  逸失利益

峻也が平成元年三月二七日生まれの男子であることは当事者間に争いがなく、峻也が前示被控訴人の過失により死亡しなければ、高等学校卒業後六七歳に達するまで稼働し、次のとおりの収入を得たことが推認できる。稼働可能年数を一八歳から六七歳までの四九年間、毎年の収入額を二四五万〇六〇〇円(平成七年賃金センサス第一表、産業計、企業規模計、全国性別・学歴別・年齢階級別・年次別平均給与額表(一般労働者)の一八歳男子労働者)、その間の生活費を収入の五〇パーセント、年五分の割合による中間利息をホフマン方式により控除する。

245万0600円×16.716×0.5=2048万2114円

2  入通院慰藉料

原審における控訴人千鶴本人尋問の結果によれば、峻也は、本症により、平成元年五月五日から同二年六月八日まで四〇〇日間国立療養所三重病院に入院し、同月八日から同年八月二日まで五五日間市立四日市病院に入院したことが認められ、右期間の入院慰藉料は三〇〇万円が相当であると認める。

3  死亡慰藉料

峻也が死亡に至った事情等を総合考慮すれば、その慰藉料は一〇〇〇万円が相当であると認める。

4  以上1ないし3の三三四八万二一一四円の賠償請求権につき、控訴人両名は、各二分の一の割合(一六七四万一〇五七円)で相続したことが認められる。

二  控訴人らの損害

1  入院付添看護費

(一) 控訴人正三

控訴人正三が峻也の入院付添した平成元年五月五日からの七日間は、控訴人千鶴も入院付添看護をしていることが認められ、峻也は当時〇歳児であることを併せ考えれば、控訴人正三の入院付添看護が、本件不法行為に基づく損害としては、相当因果関係にあるとは認められない。

(二) 控訴人千鶴

原審における控訴人千鶴本人尋問の結果によれば、控訴人千鶴は、平成元年五月五日からの三三日間峻也の入院付添看護をしたことが認められ、右は控訴人千鶴について生じた損害と認められ、その額は一日当たり五〇〇〇円が相当であるから、合計一六万五〇〇〇円の損害が認められる。

2  入院雑費

峻也は、前認定のとおり四五四日間入院したことが認められるところ、入院雑費は一日当たり一二〇〇円が相当であるから、合計五四万四八〇〇円の損害(控訴人各その二分の一)が認められる。

3  通院交通費

原審における控訴人千鶴本人尋問の結果によれば、控訴人千鶴は、前記峻也の入院中付添看護のため、原判決添付別紙交通費一覧表のとおり通院したことが認められ、その通院に要した費用は国立療養所三重病院へは一日当たり一五二〇円で、通院回数は三六〇日、市立四日市病院へは一日当たり九六〇円で、その通院回数は五五回あることが認められるから、その合計六〇万円の損害(控訴人各その二分の一)が認められる。

4  葬儀費用

甲第六号証の一ないし六及び原審における控訴人千鶴本人尋問の結果によれば、峻也の葬儀費用として五一万二〇〇〇円支出されたことが認められ、控訴人らは、右同額の損害(控訴人各その二分の一)を被ったことが認められる。

5  慰藉料

前記認定の諸事情を考慮すれば、控訴人らの近親者としての慰藉料は、各々三〇〇万円が相当であると認められる。

6  弁護士費用

本件事案の事情を考慮すれば、被控訴人が負担すべき弁護士費用は、各二〇〇万円が相当であると認める。

7  右のとおり、被控訴人の過失による峻也の死亡により、控訴人正三は、五八二万八四〇〇円、控訴人千鶴は、五九九万三四〇〇円の損害を被ったものである。

三  控訴人正三の被控訴人に対する損害賠償請求については、峻也の損害賠償請求権の相続分と右固有の損害分とを加算すれば二二五六万九四五七円となり、控訴人千鶴のそれは二二七三万四四五七円となる。

第三  以上によれば、控訴人正三の被控訴人に対する本訴請求のうち二二五六万九四五七円、控訴人千鶴の被控訴人に対する本訴請求のうち二二七三万四四五七円及びこれらに対する不法行為の結果発生日である平成二年八月一日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余の請求は理由がないから、これと異なる原判決を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官渋川満 裁判官遠山和光 裁判官河野正実)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例